BlogWAKOスタッフの日常

2018-04-02

スタッフの日常

ジェムストーンのお話 VOL.1ダイヤモンド編☆前篇☆

こんにちは。スタッフの光宗です☆

すっかり暖かくなりましたね٩(๑´0`๑)۶♪♪

街を行き交う皆様の服装もパステルカラーに移り変わり、足取りも軽やかに見えます♪

まさに春を感じる今日この頃╰(*´︶`*)╯❀✿❀✿❀

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

世間は《卒業&入学シーズン》!!そして、社会人は部署異動等、気持ち新たにスタートされた方も多いのではないでしょうか。

そして、いよいよ2018年プロ野球も開幕致しました(^^♪

入手困難と言われている昨今のカープチケットですが、私、色々な方法から今シーズンのチケットを多数取り押さえております♪♪

嬉しい反面、休日がカープに消えてゆく予感大…に対する若干の恐怖(笑)

早速写真はオープン戦での一コマ。ネット裏の最高な席で満喫しましたが、

結果は日ハムに4-1で大敗。。。。。残念でした。

しかし、オープン戦とは打って変わって、本戦は調子のよいカープ!

流石ですね☆全力応援してゆく所存でございます(*^_^*)

 

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さてさて本日は宝石の王座の地位を占める、《ダイヤモンドのお話》

ダイヤモンドは昔から、常に多くの人の羨望と憧れの対象です。

他には類をみない輝き、希少価値、そして地球上の鉱物の中で最高の硬度。

まさに「王様」と呼ぶにふさわしい宝石です。

しかし初めから、このような地位に君臨していたわけではありません。

数多くの宝石の中からダイヤモンドはどのように、今の地位を

占める様になったのでしょうか。

今回は、いつの時代も多くの人に愛されるダイヤモンドのお話を、

前篇後篇に分けてお話させて頂きたいと思います(^u^)♢♢♢

 

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ダイヤモンドの語源と意味

ダイヤモンドの語源は諸説ありますが、ギリシア語のadamazeinまたはadamas(アダマス)

「征服できない、何よりも強い」の意味を持っている言葉です。

adamazein→adamant→否定のaが取れて、diamondになったと言われています。

日本名は金剛石という名前です。

石言葉は「純潔、永遠の絆、不屈、純愛」であり、まさにこれから固い永遠の愛を誓う

カップルに相応しい意味です。

この石言葉は、結婚指輪や婚約指輪にダイヤモンドが多く選ばれている理由の一つでもあります。

 

ダイヤモンドの歴史

~人類とダイヤモンドの出会い~

人類が初めてダイヤモンドと出会ったのがいつなのか、正確には分かっていませんが、

紀元前にインドで発見されたと言われています。

以来長い間、インドの川床の砂礫の中から拾われてきました。

とはいえ、現在ほど宝石としての価値を認められていた訳ではありません。

カッティング技術がまだ発達していなかったこともあり、

特別に美しいというものではなかったのです。

むしろ当時注目されたのは、その飛びぬけた硬さです。

ダイヤモンドのカットや研磨の方法を知らなかったローマ時代の人々にとって、

ダイヤの価値は、その「硬い」という性質や、正八面体の結晶という珍しさ、

はるか遠くのインドから渡ったこと(風に乗って伝えられたという伝説もありました)

などが様々に織り混ざった、神秘的、呪術的なものであり、

病気や天災から身を守る護身符や魔よけとして人々の間で広まりました。

また、キリスト教の時代になると、そうした価値感もただの迷信として排除されました。

それ以来、カットの方法が確立して、その美しさが理解されるようになるまでの十数世紀にわたり、

ダイヤは宝石の中でも低い扱いしか受けてきませんでした。

ルビーやエメラルドより価値が低く、価格はルビーの八分の一以下とされていました。

~ダイヤモンドの研磨方法の確立~

宝石としての価値の低い「硬い透明な石」ダイヤモンドでしたが、

15世紀のヨーロッパでダイヤの研磨方法が確立されます。

ダイヤ同士でこすり合わせる、ダイヤの粉末を付けた皮でこするという方法です。

これは、現在のオランダのベルケムという宝石職人が考案したと言い伝えられています。

 

~ラウンド・ブリリアントカット~

ルネッサンス時代のヨーロッパ、華々しく美しいジュエリーが装飾用として

貴族など一部の特権階級の間で活躍し始める中、ダイヤモンドはいまだ脇役に

過ぎませんでした。真珠やエメラルド、ルビー、サファイアなどが貴族達の

ファッションの中心だったようです。

しかし、研磨方法が確立されたことにより、ダイヤモンドは様々なカットが施され、
 次第にその宝石としての地位を高めていきます。
 1700年頃、ダイヤモンドのもつ輝きを最大限に引き出すカット、
「ラウンドブリリアントカット」がベネチアのビンセント・ペルッチによって
開発されました。光と明るさ、飽きのこない色合い、そして優雅な曲線美の
デザインが志向されてきたことを背景にダイヤはジュエリーの主役に躍り出たのです。
~大鉱脈の発見、ダイヤモンド供給の拡大~

ダイヤモンドは長らくインドでしか産出されませんでした。

しかし、1730年代にブラジルでダイヤが発見されます。

インド以外で初めてのダイヤの産地でした。

それまで細々とインドから供給されていた量に比べ、ブラジルからの供給は莫大な量でした。

これを契機に欧州各地、特にアムステルダム、アントワープなどの町に

ダイヤモンド加工工場が設立されます。

手工業から産業へ。そして、これらの貿易、加工、販売のすべてが

ユダヤ人の手によってなされてきました。

1860年代には早くもブラジル産のダイヤモンドは枯渇していき、ダイヤ産業は

危機を迎えますが、1866年、南アフリカで世界最大級のダイヤ鉱脈が発見されます。

次々と大鉱山が発見され、供給量も増大。

人もどんどん集まり、ダイヤラッシュともいうべき現象が起きます。

~デ・ビアス社の独占とコントロール~

ダイヤモンドの歴史を語る上で、欠かせないのはユダヤ人の存在です。

ユダヤ人はその類まれな商才で、たとえ迫害を受けてもベニス→ブリュージュ→

リスボン等に拠点を移しながら、ダイヤモンドの取引をやめることはありませんでした。

そのおかげで、ダイヤモンドの市場は大きく拡大、発展していき、1900年の時点では

ユダヤ人セシル・ローズが創業したデビアス社が世界のダイヤモンドの産地の9割以上を

支配していました。

その後、宗教異端による追放や、第一次世界大戦、ナチスの迫害などで、

ユダヤ人達はいくつも拠点を変えては失いということを繰り返していましたが、現在でも

デ・ビアス社は、ダイヤの生産量、価格をコントロールし、価値を維持し続けています。

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ダイヤモンドが、現在の王座を占めるようになるには、長い歴史があったんですね(✽ ゚д゚ ✽)

宝石は奥深いですね~♢♢♢

次回は、装飾としてのダイヤモンド、世界的に有名なダイヤモンド

ご紹介させて頂きますね✿❀✿❀✿